2017年6月10日土曜日
2016年4月23日土曜日
2016年4月18日月曜日
民亭
先日、大人計画に出演している周作を観に上京した。
観劇後、下北の民亭で一杯やろうということになり、十数年ぶりに店に入る。
二階に通されて、どこに座ればいいものかと店の指示を待っていると「ちょ、そこどいて」と迷惑そうな顔のオバちゃんが顔の前で手首を振る。
そういやぁ確かに居たかもこんな愛想の悪いオバちゃん。と、なんとなくそんな店だったのを思い出す。
あいにく餃子が品切れだったが、他のものはあるというので美味しく頂くが、こんな普通の味だったかなあと首をひねる。
考えると、確かに覚えているのは二十代のあの頃だ。
スズナリでの芝居の帰りに仲間たちと…下北で芝居を見ては仲間たちと…いつもいつも通っていた。
餃子を食って、ビール飲んで、紹興酒でベロベロなって、そんでまた明日になれば暖簾をくぐる。
民亭の味は、僕らの青春の味だったかも…。
2016年4月17日日曜日
2016年3月5日土曜日
慌ただしい一日
隠岐の島、海士町に向かっている。
梅田駅に8:00に到着して、学生と合流したが高速バスを予約をしてなかった学生は満席のために乗車できず。
急遽、新幹線で行かせるが、途中 乗り継ぎにしくじりフェリー出航のギリギリに到着という。
到着まで乗船名簿を書いて学生証を出すだけにさせて待つ。
いま、ようやく一息ついたところです…。
2016年2月23日火曜日
トイレの神様
トイレには神様がいると言う。歌にまでなっている。
大概は、入口で僕らを
見ている。
見ている。
こんな風にだ。
だが、場所によっては寒い思いやご苦労をされてる神様もいたりする。
だいたいは見てすぐにわかる。
少し痩せて、立っているのもつらそうなのだ。
トイレはキレイに使わなければ神様に申し訳ない。
Ryushi Mizukami
2016年2月11日木曜日
先日の事
パスポートの期限が3月で切れるので、新しく更新しておかねばと年末から考えていた。
どこに行く宛てもないのだが、もしも思いつきの時に困ると思ってずっと暇になるのを待っていた。
そこでようやく先日この日に行こうと思い、その前日に写真を撮った。
よくある、スーパーの前にある証明写真のボックスでだ。
できは凝ったところで代わり映えしないのがわかっていたので三度目のシャッター音のものを選んだ。
翌日、京都駅前にある旅券センターに車で向かうとすでに申請時間が過ぎていてその日はしょうがなく引き下がった。
数日して、再びお昼の時間をめがけて行くと、長い列に待たされた挙句、係りのお姉さんが最後の最後に、「このお写真、確認させていただきます」と奥へ入った。
10分ぐらいして出てきたお姉さんは、「写真の顎のラインが不鮮明なので別のものでお願いします」と丁重に頭を下げた。
その後すぐに用事があったので駅前から繁華街に移り、仕事を済ませると通りすがりの証明写真ボックスで2度目の写真を撮った。
その時点で申請時間にあまり余裕がないなと思い、車を飛ばした。
さらに長い列に待たされて、10人くらいの係りのお姉さんがいる中でまたしても同じお姉さんに迎えられた。
「さきほどはどうも、お写真撮り直してきてくださったんですね。ありがとうございます」
「いえ」
慇懃無礼な物言いとはこの事だと思った。
また一から確認が続き、最後にまた「お写真を確認させてもらいますね」と奥に引っ込んだ。嫌な予感がした。
またしても10分くらい待たされて、申し訳なさそうな顔を見せた。
「すみません、お写真の首のあたりに白いゴミのようなものが付いているんです」
「結構ですよ、それで」
「いいえ、ダメなんです。無いものが写っていると受け付けられ無いんです。いま責任者に確認しておりました」
「嘘でしょ?」
終了時間まであと10分。
「近くに写真撮ってくれるところはありますか?」
僕が言うとお姉さんは指差した。
「ええ。隣に」
「待ってくださいすぐに撮り直してきますので」
パスポートの申請なぞに何度も通うわけにはいかない。
最初の写真に800円、次も800円、今度は1300円と書いてあった。
僕は足早に写真ブースに向かうとお金を払い、「間に合いますか?」と脅し気味に尋ねた。
「どうでしょう、たぶん大丈夫だと思いますけど」
『はい、か、いいえで答えてくれよ』と心の声を押し殺し、ダウンジャケットを脱いで順番を待つ。刻一刻と時間は過ぎた。
ようやく順番が回ってきて、写真ブースの中に入った。
ところが写真担当のおばさんがまた鈍臭い。
「コンタクトしてませんか?」
「してません」
「襟のところ少しシワが出ていますけど」
と鏡を持たせようとして、鏡を布で拭き始める。
それを奪うようにして覗き込み、
「これで結構です。撮ってください」
苛立っていた。だから険しい顔はまずいと思い、少し口元をゆるめてみた。
すると、おばさんが手を止めて顔を覗き込むように近づいてきた。
『なになに、どうしたの、どうしたの?』心の声が問いかけた。
「 ……笑わないでくださいねぇ。笑顔だとダメなんですぅ」
『知ってるよ、そんなこと!』心の中で怒鳴って口を戻した。
出来上がった写真は、お粗末だった。
一見、普通の顔のようだが眼力がこもっていた。
写真を受け取り、急いで戻り再び受付の列に並んだところで終了の音楽が鳴り響いた。
間に合った。
受付まで通れば本日中に申請が叶うのだ。
しばらく待った。
またあのお姉さんになると嫌だなと不安に思いながら、減っていく客と空いていくブースを眺めていた。
いよいよ次は僕が呼ばれる順番だった。
例のお姉さんがもうすぐ次の人を呼びそうな気配だった。
なんとかあの人になって欲しくなかった。
あのお姉さんが立ち上がろうとした。その瞬間、一瞬早く隣のブースのお姉さんが呼び出しチャイムを押していた。
「次の方〜」
手続きはあっという間に終わり、お姉さんは写真を奥で確認する事なく申請書に両面テープで貼っていた。
「ご苦労様でした」とお姉さんが言った。
「どうも、ありがとうございました」
自然と僕は素直に答えた。
こうして半日がかりのパスポート申請はようやく終わった。
家に帰り、ボツになった写真と通った写真を見比べた。
白い影なんて、ツバでこすれば取れるようなものだったし、最初の顎のフェイスラインなんて歳が行けば誰にもあるような二十シワだ。
なんだか釈然としない一日だったが、これも何かの思し召し。
終わりよければ全て良しだ ……。
さてと、海外旅行の計画でも立ててみるか。
(写真を載せようと思いましたが、手元にないのでまた今度)
どこに行く宛てもないのだが、もしも思いつきの時に困ると思ってずっと暇になるのを待っていた。
そこでようやく先日この日に行こうと思い、その前日に写真を撮った。
よくある、スーパーの前にある証明写真のボックスでだ。
できは凝ったところで代わり映えしないのがわかっていたので三度目のシャッター音のものを選んだ。
翌日、京都駅前にある旅券センターに車で向かうとすでに申請時間が過ぎていてその日はしょうがなく引き下がった。
数日して、再びお昼の時間をめがけて行くと、長い列に待たされた挙句、係りのお姉さんが最後の最後に、「このお写真、確認させていただきます」と奥へ入った。
10分ぐらいして出てきたお姉さんは、「写真の顎のラインが不鮮明なので別のものでお願いします」と丁重に頭を下げた。
その後すぐに用事があったので駅前から繁華街に移り、仕事を済ませると通りすがりの証明写真ボックスで2度目の写真を撮った。
その時点で申請時間にあまり余裕がないなと思い、車を飛ばした。
さらに長い列に待たされて、10人くらいの係りのお姉さんがいる中でまたしても同じお姉さんに迎えられた。
「さきほどはどうも、お写真撮り直してきてくださったんですね。ありがとうございます」
「いえ」
慇懃無礼な物言いとはこの事だと思った。
また一から確認が続き、最後にまた「お写真を確認させてもらいますね」と奥に引っ込んだ。嫌な予感がした。
またしても10分くらい待たされて、申し訳なさそうな顔を見せた。
「すみません、お写真の首のあたりに白いゴミのようなものが付いているんです」
「結構ですよ、それで」
「いいえ、ダメなんです。無いものが写っていると受け付けられ無いんです。いま責任者に確認しておりました」
「嘘でしょ?」
終了時間まであと10分。
「近くに写真撮ってくれるところはありますか?」
僕が言うとお姉さんは指差した。
「ええ。隣に」
「待ってくださいすぐに撮り直してきますので」
パスポートの申請なぞに何度も通うわけにはいかない。
最初の写真に800円、次も800円、今度は1300円と書いてあった。
僕は足早に写真ブースに向かうとお金を払い、「間に合いますか?」と脅し気味に尋ねた。
「どうでしょう、たぶん大丈夫だと思いますけど」
『はい、か、いいえで答えてくれよ』と心の声を押し殺し、ダウンジャケットを脱いで順番を待つ。刻一刻と時間は過ぎた。
ようやく順番が回ってきて、写真ブースの中に入った。
ところが写真担当のおばさんがまた鈍臭い。
「コンタクトしてませんか?」
「してません」
「襟のところ少しシワが出ていますけど」
と鏡を持たせようとして、鏡を布で拭き始める。
それを奪うようにして覗き込み、
「これで結構です。撮ってください」
苛立っていた。だから険しい顔はまずいと思い、少し口元をゆるめてみた。
すると、おばさんが手を止めて顔を覗き込むように近づいてきた。
『なになに、どうしたの、どうしたの?』心の声が問いかけた。
「 ……笑わないでくださいねぇ。笑顔だとダメなんですぅ」
『知ってるよ、そんなこと!』心の中で怒鳴って口を戻した。
出来上がった写真は、お粗末だった。
一見、普通の顔のようだが眼力がこもっていた。
写真を受け取り、急いで戻り再び受付の列に並んだところで終了の音楽が鳴り響いた。
間に合った。
受付まで通れば本日中に申請が叶うのだ。
しばらく待った。
またあのお姉さんになると嫌だなと不安に思いながら、減っていく客と空いていくブースを眺めていた。
いよいよ次は僕が呼ばれる順番だった。
例のお姉さんがもうすぐ次の人を呼びそうな気配だった。
なんとかあの人になって欲しくなかった。
あのお姉さんが立ち上がろうとした。その瞬間、一瞬早く隣のブースのお姉さんが呼び出しチャイムを押していた。
「次の方〜」
手続きはあっという間に終わり、お姉さんは写真を奥で確認する事なく申請書に両面テープで貼っていた。
「ご苦労様でした」とお姉さんが言った。
「どうも、ありがとうございました」
自然と僕は素直に答えた。
こうして半日がかりのパスポート申請はようやく終わった。
家に帰り、ボツになった写真と通った写真を見比べた。
白い影なんて、ツバでこすれば取れるようなものだったし、最初の顎のフェイスラインなんて歳が行けば誰にもあるような二十シワだ。
なんだか釈然としない一日だったが、これも何かの思し召し。
終わりよければ全て良しだ ……。
さてと、海外旅行の計画でも立ててみるか。
(写真を載せようと思いましたが、手元にないのでまた今度)
2016年2月7日日曜日
今年の初舞台
昨年末から稽古していた舞台が終わった。
僕が演出したものだ。
FBでも紹介したので詳しくは書かないが、これでかれころ8年間続けて来た長いプロジェクトがようやく終わった。
当初は、僕が演出して若手を怒鳴り散らしていたものが、ここ最近では学生たちが本を書いたり演出したりして、わりと和気藹々とやってきた。
しかし、最後の公演だと言う事で演出という大役が廻って来ていた。
しかも演目は、「わが友ヒットラー」三島由紀夫の名作だ。
長セリフに長セリフで拮抗する会話劇は、これがダイアローグかと思う程のもので、聞いている相手役も数分間なにも喋らない芝居が続く。
まったく役者と演出泣かせの本だと最初は思った。
ところが、稽古してゆくうちに、その音楽劇のようなセリフの響きや時代や実在するキャラクターを忍ばせる隠喩に次第に読み解く面白みを感じていった。
さすがはノーベル賞候補まで噂された作家である。
ともあれ、公演は大盛況のうちに幕を閉じ、ようやく僕も自由になった……。
これから先あらためて何をすべきか、ゆっくりと考えていこうかと思っている。
2016年1月1日金曜日
謹賀新年
皆様、おめでとうございます
新しい夜明けが訪れましたね。
この2016年が、皆様にとって飛躍と自信に満ちた素晴らしい歳であります様に心からお祈りいたします。
今年もどうか水上竜士を宜しくお願い致します‼︎
2016年 元旦
2015年11月10日火曜日
グラスホッパー
映画「グラスホッパー」を観た。
伊坂幸太郎の小説を「脳男」などの瀧本智行監督がメガホンをとっている。
脚本はうちの先生でもある青島武さんだ。
青島さんとは毎週会うし、早めに見ておかないとまずいと思い、昨日慌てて観に行ってきた。
生田斗真は悪い役者じゃ無いと思う。
ただジャニーズという先入観は、ジャニーズファン以外を敵に回す。
「所詮、子供の見る映画だろ」くらいに舐めてかかられるというわけだ。
この映画が当たるかどうかの鍵はジャニーズファンには持ちえてない。
アンチジャニーズがどれだけ口コミで広げるかだろう。
この映画が当たるかどうかの鍵はジャニーズファンには持ちえてない。
アンチジャニーズがどれだけ口コミで広げるかだろう。
作り手は誰も彼も真の映画畑の人たちである。
誰も彼も数々の名作に関わってきたツワモノたちだ。
誰も彼も数々の名作に関わってきたツワモノたちだ。
だからというわけではないが、当然、上映時間の2時間は釘付けにしてくる。
物語の枝葉である役者たちにもちゃんと物語設定がされているのは、青島さんのうまいところで映画に対する敬意さえ感じられる。
しかしである。
役者がその背景にコダワリを持ち始めた時、枝葉は別の幹を持ち始め、観客に混乱を与えてしまうような気がしてならないのだ。
役者がその背景にコダワリを持ち始めた時、枝葉は別の幹を持ち始め、観客に混乱を与えてしまうような気がしてならないのだ。
さてさて、瀧本さんはどう猛者たちを操ったのだろう。
もっともっとやって欲しかっただろうか。それとももう少し抑えられたら良かったと思っただろうか。
2015年11月8日日曜日
雨男
京都は雨。
先日のNHK連続テレビ小説「あさが来た」の中で雨男を語るセリフがあった。
九州の炭鉱に行くことになった主人公 あさが、離れ離れになる旦那様に、「お家のためにお妾さんをもらってください」と悲しいお願いをした翌日、あさが寄り合いから戻ると、旦那様はお妾さんの家に行ったことを知る。
やりきれない気持ちで外に飛び出すあさであったが、行く当てもなく、ふと空を見上げれば、やがて雨は降り出した。
「旦那様は雨男だから、嬉しい時は雨が降るんだす…」
あさはそう呟いて再び路地を駆け出した。
うまいセリフだ。
雨男(女)ってそうだったのかと納得させられた。
映画の撮影なんかじゃ、雨男と呼ばれる者は、またお前のせいでとからかわれ、疎まれる。
役者だったらキャスティングされない事もあるだろう。
しかしだ、「嬉しいときに雨が降る」と言われれば、それも可愛く思え、許したくもなってくる。
今度、雨が降ったら、そこには雨男がいないか探してみたいものである。
きっと一番ニヤニヤしている奴に違いない…。
2015年11月7日土曜日
映画撮影
先日、卒業制作の撮影で福井県の水晶浜海岸まで行った。
監督が夕陽を背景にしたいと言い、わずか1時間弱の夕陽を待って撮影は行われた。
時間を操る映画芸術は、常に時間に追われるものだ。
役者たちもスタッフも大変である。
まるで自然と鬼ごっこでもするかのようにカメラはあっちへ回り、こっちへ回りとするものだから、回りのスタッフたちもぞろぞろとその後ろに着いて回る。
当然、役者たちも必死である。
さっきの芝居も今の芝居も同じ芝居でなければ繋がらない。
その緊張は赤く染まる顔にも浮かんでいた。
確かに僕にもこんな時代があったのだ・・・。
2015年11月3日火曜日
「風・恋・花」
撮影カメラマン&写真家の清家正信さんの写真展を観に行く。
今回多く展示されていたプラチナプリントなるものは、千年も色褪せることなく保存がきくものだそうで、その一点、一点に写真家としての深い愛情とこだわりを感じた。
たった一度きりの瞬間に多くの想像や物語性を感じられたのは、清家さんのお人柄が成す匠の技に違いない…。
京都 05(まるご)ギャラリーにて。
2015年10月10日土曜日
アンビリーバボー
遅ればせながらラグビーW杯、南アフリカ戦を観ていた。
勝利の瞬間、心臓の高鳴りと観客の涙にこっちまで落涙しかけていた。
と、一本の電話が鳴った。
京都を巣立った若い俳優からだった。
詳細はまだ書けないが、主役の仕事が決まったと吉報を伝えてきた。
嬉しさがこみ上げる。
歴史は動くのだ。実感して電話を切った。
2015年10月12日 日本はアメリカに勝つ…。
勝利の瞬間、心臓の高鳴りと観客の涙にこっちまで落涙しかけていた。
と、一本の電話が鳴った。
京都を巣立った若い俳優からだった。
詳細はまだ書けないが、主役の仕事が決まったと吉報を伝えてきた。
嬉しさがこみ上げる。
歴史は動くのだ。実感して電話を切った。
2015年10月12日 日本はアメリカに勝つ…。
プロフェッショナル研究
今期から「プロフェッショナル研究」なる授業を受け持った。
約80名が履修する就職支援の座学である。
映画や映像領域の仕事を志す者たちの半分以上は映画監督や撮影技術の仕事を目指して入学して来る。だが、その夢への到達は想像以上に険しい茨の道だ。
そんな彼らをフリーランスの助監督やフリーのアシスタントカメラマンではなく、企業に就社させる事が我々教育者側に与えられた任務の一つでもある。
矛盾を感じる。
映画が好きで、監督やカメラマンあるいは俳優を志す若きエースの将来を嘱望しながら、その一方で志を曲げ一会社員として働けと尻を叩く。
技術と知識をこれでもかと詰め込み、その才能の開花を待たずして彼らを就社し働く事こそが正しい道だと洗脳していく。
しかし見方を変えれば、映画を学ぶ誰もが映画監督や撮影カメラマンとして大成するわけではない。
ほんの一人握りの人間、技術や知識を兼ね備えたわずかな人間だけがその予備軍としてフリーランスで仕事を繋げられるのが現実だ。
学べば学ぶほど才能(感性)や力の差は歴然と出て来る。
誰かより劣る者たちは、企業の中で守られていくしかないのだ。
俳優にしたってそうだ。
誰もが主役を勝ち取れるわけではない。
演技力と容姿を兼ね備えた者たちだけが主役として選ばれるなら、どちらか欠ける者は脇役や個性派として生きるしかないわけだ。
そこには「絶対優位」という言葉が成り立つ。
「絶対優位」とは、比較すれば優劣が付けられるというものだ。
誰かより背が低い。誰かより感性が鈍い。誰かよりプレゼンテーション力が弱い。
そこには必ず個人差が引っ付いてくる。
その「絶対優位」に劣等感を抱く者は、社会(企業)に属すしかないのである。
この理屈を分かりやすく解く経済原理がある。
「比較優位」と言うものだ。
優秀な才能に恵まれたAさんという人がいる。
Aさんは、1日に『企画』を4つ上げるか、『商談』を二つまとめる事ができる。
Bさんは、1日に『企画』を一つ、あるいは『商談』を一つまとめる事ができた。
そんな二人が手を組み、金儲けを考えた。
Aさんは一日で『企画』を4つ上げ、Bさんは四日間かけて『商談』を4つまとめた。
Bさんは、Aさんと成果物を交換した。
Bさんの成果物は『商談』から『企画』になっただけで出来高は変わらない。
だが、Aさんの一日の成果物は、『商談』が4つになり、通常より二つも増えた。
Aさんは、二日目の成果物をCさんと交換する。
三日目をDさんと、四日目をEさんと。
Aさんは四日で商談が八つも増えたわけである。
仮に一つの商談の利益が百万だとすれば、いつもより八百万の利益をプラスしたことになる。
それが叶ったのは、Bさん、Cさん、Dさん、Eさんが居たからだ。
彼ら4人はその利益を分配し、さらに仕事に邁進した。
何が言いたいか。
「絶対優位」に劣等感を持つ者だって勝つ事ができるのだ。
これが企業で働く意味である…。
約80名が履修する就職支援の座学である。
映画や映像領域の仕事を志す者たちの半分以上は映画監督や撮影技術の仕事を目指して入学して来る。だが、その夢への到達は想像以上に険しい茨の道だ。
そんな彼らをフリーランスの助監督やフリーのアシスタントカメラマンではなく、企業に就社させる事が我々教育者側に与えられた任務の一つでもある。
矛盾を感じる。
映画が好きで、監督やカメラマンあるいは俳優を志す若きエースの将来を嘱望しながら、その一方で志を曲げ一会社員として働けと尻を叩く。
技術と知識をこれでもかと詰め込み、その才能の開花を待たずして彼らを就社し働く事こそが正しい道だと洗脳していく。
しかし見方を変えれば、映画を学ぶ誰もが映画監督や撮影カメラマンとして大成するわけではない。
ほんの一人握りの人間、技術や知識を兼ね備えたわずかな人間だけがその予備軍としてフリーランスで仕事を繋げられるのが現実だ。
学べば学ぶほど才能(感性)や力の差は歴然と出て来る。
誰かより劣る者たちは、企業の中で守られていくしかないのだ。
俳優にしたってそうだ。
誰もが主役を勝ち取れるわけではない。
演技力と容姿を兼ね備えた者たちだけが主役として選ばれるなら、どちらか欠ける者は脇役や個性派として生きるしかないわけだ。
そこには「絶対優位」という言葉が成り立つ。
「絶対優位」とは、比較すれば優劣が付けられるというものだ。
誰かより背が低い。誰かより感性が鈍い。誰かよりプレゼンテーション力が弱い。
そこには必ず個人差が引っ付いてくる。
その「絶対優位」に劣等感を抱く者は、社会(企業)に属すしかないのである。
この理屈を分かりやすく解く経済原理がある。
「比較優位」と言うものだ。
優秀な才能に恵まれたAさんという人がいる。
Aさんは、1日に『企画』を4つ上げるか、『商談』を二つまとめる事ができる。
Bさんは、1日に『企画』を一つ、あるいは『商談』を一つまとめる事ができた。
そんな二人が手を組み、金儲けを考えた。
Aさんは一日で『企画』を4つ上げ、Bさんは四日間かけて『商談』を4つまとめた。
Bさんは、Aさんと成果物を交換した。
Bさんの成果物は『商談』から『企画』になっただけで出来高は変わらない。
だが、Aさんの一日の成果物は、『商談』が4つになり、通常より二つも増えた。
Aさんは、二日目の成果物をCさんと交換する。
三日目をDさんと、四日目をEさんと。
Aさんは四日で商談が八つも増えたわけである。
仮に一つの商談の利益が百万だとすれば、いつもより八百万の利益をプラスしたことになる。
それが叶ったのは、Bさん、Cさん、Dさん、Eさんが居たからだ。
彼ら4人はその利益を分配し、さらに仕事に邁進した。
何が言いたいか。
「絶対優位」に劣等感を持つ者だって勝つ事ができるのだ。
これが企業で働く意味である…。
2015年8月30日日曜日
2015年8月27日木曜日
夢
夢で海に出かけた。
絶好の釣り場を探して浅瀬を進んでいくと、気づけば元の場所が分からぬほど遠くに来てしまっている。
しかも、浅瀬には小さなシャチがウヨウヨしだした。
「まずいな」と考えて、なぜかそこにある廃屋のような建物に上がり辺りを見渡せば、なんと海の孤島にたった一人で、しかもいつの間にか潮が満ちていてみるみるうちに水嵩が上がってくる。
「これはやばい」と階段を駆け上がり、屋上から助けはないかと見渡すと遠くに恐竜までがいて近づいてくる。
誰もいない廃屋の屋上で、人生おわった…と真っ白になったところで目が覚めた。
2015年8月17日月曜日
海士町へ再び
学生たちはもっと前から来ていたから10日近くのプロジェクトである。
海士町は本当に素敵な場所だ。
自然も豊富で気候も過ごしやすく、何より人の温かさがある。
「カミハテ商店」の撮影準備で何度も通い、前回は数年前の完成上映会で行ったっきりだった。
東京の様に街並みが変わる事はない。
コンビニなんてないかわりに商店が朝早くから遅くまで開いている。
八百屋や魚屋がないかわりにその日獲れたての食材が商店に並ぶ。
ここに居ると健康を感じる事が出来るのだ。
プロジェクト最終日、BBQをすると言うと、青年部の漁師さんたちがサザエやアワビ、アコウなんて高級魚を持ってきてくれた。
近い将来、また来ようと思う。
帰り際、常にそう思わされる島である…。
2015年8月15日土曜日
七回忌
いくつか難題を抱えている。
でも、ちっぽけなもので十月には全て片付いているはずだ。
それでというわけではないがお盆には帰らない事にした。
悩み事や慌ただしいと感じるのは生きてる証だ。
今までも時が過ぎれば辛い事も思い出に変わっている。
もっとも面倒なのは人間関係で、それもいつか望むように変わっていく。
人生は思うようになっていく。
働くのが嫌だと思っていると職を失い、生活の安定を求めれば仕事が変わる。
何かを諦めれば、楽になる代わりに生き甲斐も失い、有頂天になればいつかまた誰かと自分を比較してしまう。
でも、幸せを感じていると幸せな人が寄ってきて、また新たな希望が生まれ始める。
人生とは自分を飽きさせない事の連続だ。
だが、死を迎える時だけはちょっと違うような気がする。
所謂不幸との対決だ。
四六時中、死についてだけを考えて、今までの不幸がちっぽけだった事に気付くのだろう。
だから、とにかく毎日を一生懸命生きる事にした。
母親たちの死を悲しんだあの年から…。
2015年8月14日金曜日
リノベーション
あと数年暮らすつもりで京都の新居をリノベーション。
腐った根太を変え、コンパネ板を張り替え、桜材のフローリングを発注した。
水道管と電気工事も自分でやろうとしていたら、妻にそれはやめてと止められた。
しかし、夏休みの工作をこの歳でやるとは思わなかった。
毎日が楽しい。
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