文章作法という本を読んだ。
その中にこんな一節が有る。
「私たちには、読む人のない文章は書けない。
書く気になれない。
読む人のいない文章というものは、見る人のない絵のようなもので、無意味である。
書いた人にしかわからないような文章は、描いた画家にしかわからない絵と同じであって、それは書いた人の側に存在するのみで、読む人の側には存在しない。
それは盲人の前におかれた絵のごときものである。文章が文章として存在するためには、読んで理解する人がなくてはならない。
そうでなければ、半分の存在しかもたないことになる」
こう書かれてパチパチと打っている自分のこのブログは誰かに読まれているだろうかと考えた。
時々、FBには「ブログ更新しました」と読んで欲しい事をアピールするが、それは宣伝したい話が有る時にほぼ限っている。
FBなどの読む人のいる文章は、不特定多数からの反応を恐れ、今日の食事の写真や溺愛するペットの写真に変わり、今では世の中の情勢やおもしろ動画に移行した。
さらにLINEなるものは、言葉を排除し、スタンプなる絵での表現にまで発展している。
読む人のない文章は書く気になれないが、読まれるかどうかわからない文章なら、誰の眼も気にせず書いていける。
もしかすると、ブログは文章作法の練習には一番かもしれない……。
2014年11月21日金曜日
2014年11月20日木曜日
天才スピヴェット
大阪まで行って『天才スピヴェット』を観た。
京都シネマでもやっていたが、どうせなら少しでも大きなスクリーンで観たかった。
人生はきっと冒険の連続に違いないのだ…。
天才少年の生き様を語るのかと思いきやそうじゃない。
自分を非常に客観的に見ている幼い少年が、一大決心の末に旅に出る。
そして様々な困難と向き合い乗り越える冒険活劇だ。
人生はきっと冒険の連続に違いないのだ…。
2014年11月13日木曜日
写真撮影
大学の若手俳優たちのプロフィール写真を撮りに行った。
彼らは来春 俳優として上京する。
芝居などあまり経験した事の無かった若者たちが、こうして見るといつの間にか役者の顔になっている。
どんな仕事も、貪欲に、あきらめず、自分を信じたものだけが生き残る。
役者は芸術家でもアーティストでもクリエイターでもない。
役者は役者だ!
彼らは来春 俳優として上京する。
芝居などあまり経験した事の無かった若者たちが、こうして見るといつの間にか役者の顔になっている。
どんな仕事も、貪欲に、あきらめず、自分を信じたものだけが生き残る。
役者は芸術家でもアーティストでもクリエイターでもない。
役者は役者だ!
2014年10月23日木曜日
秋なのに
朝、大学に向かおうとして自転車を跨いだところ、
カゴに乗っかっているカエルを発見、僕の方が飛び退いた。
カゴに乗っかっているカエルを発見、僕の方が飛び退いた。
ハンドルを振っても逃げず、ようやくどいたかと思えば別の場所に張り付いた。
格闘の末、敵が花壇に逃げ込んだところで決着が着く。
晴れやかな気持ちでペダルを踏んだ。
2014年10月19日日曜日
舞台「光のない。」
京都芸術劇場春秋座で東日本大震災と原発事故を題材にした、「光のない。」地点公演を観た。
作者は、ミヒャエル・ハネケ監督「ピアニスト」の原作者であり、後にノーベル文学賞を受賞したエルフリーデ・イェリネクである。
演出は、「地点」代表で文化庁芸術祭新人賞ほか、数々の受賞歴を持つ三浦基で、彼はチェーホフ四大戯曲の連続公演に取り組み絶賛を浴びた日本演劇界ではホープとも言える存在だ。
なかんずく、この「光のない。」は、いとうせいこう がツイッターでこう呟いている。
『現代演劇の頂点。悲惨で混乱し美しく隣接し切断される言葉と身振りとセットと照明。大震災と原発事故を目の前にして書かれたセリフの切実さ。ラスト近く不意に涙が出た。明日もある。飛行機で、新幹線で、地下鉄で、駆けつけるべき』
ここまで呟かれたのでは観に行かない道理は無い。
当日券発売の寸前に電話すると、まだチケットはあるとのことで、慌てて劇場まで自転車を飛ばして行った。
冒頭から繰り返されるセリフの反復に戸惑わされる。
しかも、それは言葉の概念をぶちこわす、いや、概念自体を破壊するかの様な隙間の無い進行に、ああ、これは音楽的な言葉が生み出すロンド(回旋律)であったのかと気付かされる。
役者の動きもどちらかと言えば舞踏にも似て、それは散文詩と組み合わさって次第に臨場感を増して行く。
時々、明確になる言葉からは震災に関連する言葉が出て、次第にぞくぞくもするのだがロンドが巡れば物語性に行き着く前に再び降り出しに戻って行く。
この演劇が何をいわんとしているかを考えてみた。深読みだ。いや、深読みしかできない。
まるで海の中を想像させるような舞台美術、遠くから響く様な人々のうめき声、そしてモノトーンを連想させる微かな光……。
もしかすると、一枚の写真のようなものを突きつけ、記憶させたかったのではないかと感じてしまう。
『僕らはどこからも脱出できない暗闇に、いま封じ込められていることを。そしてこれが21世紀に起きた悲劇なのだと……』
作者は、ミヒャエル・ハネケ監督「ピアニスト」の原作者であり、後にノーベル文学賞を受賞したエルフリーデ・イェリネクである。
演出は、「地点」代表で文化庁芸術祭新人賞ほか、数々の受賞歴を持つ三浦基で、彼はチェーホフ四大戯曲の連続公演に取り組み絶賛を浴びた日本演劇界ではホープとも言える存在だ。
なかんずく、この「光のない。」は、いとうせいこう がツイッターでこう呟いている。
『現代演劇の頂点。悲惨で混乱し美しく隣接し切断される言葉と身振りとセットと照明。大震災と原発事故を目の前にして書かれたセリフの切実さ。ラスト近く不意に涙が出た。明日もある。飛行機で、新幹線で、地下鉄で、駆けつけるべき』
ここまで呟かれたのでは観に行かない道理は無い。
当日券発売の寸前に電話すると、まだチケットはあるとのことで、慌てて劇場まで自転車を飛ばして行った。
冒頭から繰り返されるセリフの反復に戸惑わされる。
しかも、それは言葉の概念をぶちこわす、いや、概念自体を破壊するかの様な隙間の無い進行に、ああ、これは音楽的な言葉が生み出すロンド(回旋律)であったのかと気付かされる。
役者の動きもどちらかと言えば舞踏にも似て、それは散文詩と組み合わさって次第に臨場感を増して行く。
時々、明確になる言葉からは震災に関連する言葉が出て、次第にぞくぞくもするのだがロンドが巡れば物語性に行き着く前に再び降り出しに戻って行く。
この演劇が何をいわんとしているかを考えてみた。深読みだ。いや、深読みしかできない。
まるで海の中を想像させるような舞台美術、遠くから響く様な人々のうめき声、そしてモノトーンを連想させる微かな光……。
もしかすると、一枚の写真のようなものを突きつけ、記憶させたかったのではないかと感じてしまう。
『僕らはどこからも脱出できない暗闇に、いま封じ込められていることを。そしてこれが21世紀に起きた悲劇なのだと……』
2014年10月16日木曜日
2014年10月13日月曜日
休講
台風の警戒で、急遽授業は休講。
今日は祭日ですが、授業日でした。
今晩、近畿にも大嵐が迫り来るようです。
975hpaはかなり大型、しかも速度を増してきたとテレビでは言ってます。
皆さん、お気をつけて。
2014年10月11日土曜日
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