2015年8月17日月曜日

海士町へ再び



3泊4日の隠岐の島 海士町プロジェクトに参加した。
学生たちはもっと前から来ていたから10日近くのプロジェクトである。

海士町は本当に素敵な場所だ。
自然も豊富で気候も過ごしやすく、何より人の温かさがある。

「カミハテ商店」の撮影準備で何度も通い、前回は数年前の完成上映会で行ったっきりだった。

東京の様に街並みが変わる事はない。
コンビニなんてないかわりに商店が朝早くから遅くまで開いている。
八百屋や魚屋がないかわりにその日獲れたての食材が商店に並ぶ。

ここに居ると健康を感じる事が出来るのだ。

プロジェクト最終日、BBQをすると言うと、青年部の漁師さんたちがサザエやアワビ、アコウなんて高級魚を持ってきてくれた。

近い将来、また来ようと思う。
帰り際、常にそう思わされる島である…。



2015年8月15日土曜日

七回忌

いくつか難題を抱えている。
でも、ちっぽけなもので十月には全て片付いているはずだ。

それでというわけではないがお盆には帰らない事にした。

悩み事や慌ただしいと感じるのは生きてる証だ。

今までも時が過ぎれば辛い事も思い出に変わっている。

もっとも面倒なのは人間関係で、それもいつか望むように変わっていく。

人生は思うようになっていく。
働くのが嫌だと思っていると職を失い、生活の安定を求めれば仕事が変わる。

何かを諦めれば、楽になる代わりに生き甲斐も失い、有頂天になればいつかまた誰かと自分を比較してしまう。

でも、幸せを感じていると幸せな人が寄ってきて、また新たな希望が生まれ始める。

人生とは自分を飽きさせない事の連続だ。

だが、死を迎える時だけはちょっと違うような気がする。
所謂不幸との対決だ。

四六時中、死についてだけを考えて、今までの不幸がちっぽけだった事に気付くのだろう。

だから、とにかく毎日を一生懸命生きる事にした。

母親たちの死を悲しんだあの年から…。


2015年8月14日金曜日

リノベーション


あと数年暮らすつもりで京都の新居をリノベーション。

腐った根太を変え、コンパネ板を張り替え、桜材のフローリングを発注した。

水道管と電気工事も自分でやろうとしていたら、妻にそれはやめてと止められた。

しかし、夏休みの工作をこの歳でやるとは思わなかった。
毎日が楽しい。


2015年7月20日月曜日

同窓会

映画学科の第一回同窓会が行われた。
一期生から五期生までが集まり、素晴らしい宴だった。

楽しくて楽しくて、でも一つだけ心の痛くなる報告に、後半は酒の酔いも混じってか、壊れかけた。


「私、病気だから。死ぬかもしれないから、先生大事にしてね」

僕らは若者の活躍とこれからに期待して、厳しく育て送り出す。

でも生きてなきゃダメだ。

僕らより長生きしなきゃダメだ。

これからの未来に期待し続けなければダメだ。

こんなことを公に書き残すことも躊躇ったが、忘れないために書くことにした。



2015年7月18日土曜日

命日

ずっと貧乏で、
今も変わりはせんけど、

芳雄さんの弟子になってから、
ことあるごとに遊びに行って、
いつもうまい飯を食べさせてもらってた。

明日の命日には、またお礼を言いに行きますね…。

2015年6月27日土曜日

ながらえば

1983年制作のTV番組「ながらえば」を観た。
主演は笠智衆。

大学の上映会で観たのだが、後半から涙が止まらない。
何度拭っても次から次とこぼれ出てくる。
幸いにも観客は僕ともう一人しかいなく、恥ずかしい思いをせずに済んだ。
だが、このドラマ、とにかく参った。

物語は、息子の転勤で住み慣れた名古屋から富山に引っ越していく老人。
彼には一つ気がかりな事があった。

それは、しばらく病院に入院している妻を置いて旅立ってしまわなければならない事だった。
旅立つ前の日に、妻の病院に見舞いに行ったが、診察が長引いていてついには会えぬまま出発してしまったのだ。

老人は事あるごとに妻の事を思い出す。
もしもこのまま会えずに妻が死んでしまったなら、その思いが募り名古屋に戻らなければならない用事があるから金をくれと息子夫婦に言う。だが、息子や嫁は来たばっかりで何を言い出すかと、容赦しない。
老人もその本当の理由を言えずに悶々とした日々を過ごしていく。

だが結局、居てもたっても居られない老人は、嫁のタンスからお金を抜いて出発しようと考える。でも、それも嫁に見つかり、わずかな千円札だけを手に走り出す。

途中、列車の中で老人は特急券を持っていない事を追及され、下ろされてしまう。
そして各駅電車を待つ間、ふと歩き出した街の風景に見とれ、次の電車まで乗り遅れてしまう。

結局、無一文で旅宿に入った老人は、金を持っていない事も気が気でならない。
食事が出ても箸を伸ばせない。

そんなとき、その旅宿で不幸があった。
同じ年くらいの老主人の奥さんが亡くなられたのだ。
一言お悔やみを申し上げたいと訪ねれば、老主人は気さくに話をしだす。

やがて老人は主人に金を持っていない事、妻に会いたくて家を出てきた事を話しだす。
さらに、ここの宿賃も払えないと打ち明けると、老主人は手伝いに金を持ってくるように声を掛け、明日いちばんの特急で名古屋に向かうように進言する。

深く深く頭を下げる老人、翌日妻のいる病院に向かって行く……。

この老人役が笠智衆、旅宿の主人が宇野重吉だ。
この二人の会話と芝居が素晴らしく、このやりとりからクチビルを噛んで我慢しだした。

芝居って何だろう、役者って何だろう。
二人の芝居に、ただただ溜め息が出るばかりだった……。

2015年6月3日水曜日

卒業生

今日、卒業生からドラマ出演の情報が届いた。
嬉しい限りだ。

彼らが俳優になりたいといった時点で、どこにも所属できなくても東京でバイトをしながらチャンスを探せと言っている。

彼らはもんもんとしながら、手っ取り早く自分たちで立ち上げた舞台公演でそのやりきれない気持を満たしていく。

しかも、誰かが観に来てくれて引き上げてくれる事を願いながらだ。

チャンスはすぐには訪れない。
でも、続けていればチャンスに一歩でも近づくはずだ。

彼らの成功の一つ一つは僕の大きな励みである……。



2015年5月17日日曜日

プロット

ようやくプロットを一つ書き終えた。

4月から何かと大学の行事に忙殺されて、ゆっくり机に向かう時間が無かった。
次々に来る仕事の山を片隅に置いて、ここ数日が勝負だと言い聞かせる。

意外とやれば出来るものだ。

そう言えば、東京にいた頃はしょっちゅうこんな感じだった。
プロットを仕上げて、しばらくプロデューサーが意見をまとめる次の打ち合わせまで、さらに次のプロットを書いていた。

月に3本のシナリオとプロットを平行し、役者の仕事もこなしていた頃もあった。


まだまだ出来る……そんな晴れやかな気持ちで次はロシア連続ドラマのプロットにかかるのだ。