2014年10月23日木曜日

秋なのに

朝、大学に向かおうとして自転車を跨いだところ、
カゴに乗っかっているカエルを発見、僕の方が飛び退いた。

ハンドルを振っても逃げず、ようやくどいたかと思えば別の場所に張り付いた。

格闘の末、敵が花壇に逃げ込んだところで決着が着く。

晴れやかな気持ちでペダルを踏んだ。


2014年10月19日日曜日

舞台「光のない。」

京都芸術劇場春秋座で東日本大震災と原発事故を題材にした、「光のない。」地点公演を観た。

作者は、ミヒャエル・ハネケ監督「ピアニスト」の原作者であり、後にノーベル文学賞を受賞したエルフリーデ・イェリネクである。

演出は、「地点」代表で文化庁芸術祭新人賞ほか、数々の受賞歴を持つ三浦基で、彼はチェーホフ四大戯曲の連続公演に取り組み絶賛を浴びた日本演劇界ではホープとも言える存在だ。

なかんずく、この「光のない。」は、いとうせいこう がツイッターでこう呟いている。

『現代演劇の頂点。悲惨で混乱し美しく隣接し切断される言葉と身振りとセットと照明。大震災と原発事故を目の前にして書かれたセリフの切実さ。ラスト近く不意に涙が出た。明日もある。飛行機で、新幹線で、地下鉄で、駆けつけるべき』

ここまで呟かれたのでは観に行かない道理は無い。
当日券発売の寸前に電話すると、まだチケットはあるとのことで、慌てて劇場まで自転車を飛ばして行った。

冒頭から繰り返されるセリフの反復に戸惑わされる。
しかも、それは言葉の概念をぶちこわす、いや、概念自体を破壊するかの様な隙間の無い進行に、ああ、これは音楽的な言葉が生み出すロンド(回旋律)であったのかと気付かされる。

役者の動きもどちらかと言えば舞踏にも似て、それは散文詩と組み合わさって次第に臨場感を増して行く。

時々、明確になる言葉からは震災に関連する言葉が出て、次第にぞくぞくもするのだがロンドが巡れば物語性に行き着く前に再び降り出しに戻って行く。

この演劇が何をいわんとしているかを考えてみた。深読みだ。いや、深読みしかできない。

まるで海の中を想像させるような舞台美術、遠くから響く様な人々のうめき声、そしてモノトーンを連想させる微かな光……。

もしかすると、一枚の写真のようなものを突きつけ、記憶させたかったのではないかと感じてしまう。

『僕らはどこからも脱出できない暗闇に、いま封じ込められていることを。そしてこれが21世紀に起きた悲劇なのだと……』

2014年10月16日木曜日

衣装部

先日、某映画の準備をしている衣装部さんのお手伝いに行きました。

裁縫です。
針と糸で縫い物です。

まるで職人のようですが、女の人の5倍 時間がかかっています…。(^^)


2014年10月13日月曜日

休講

台風の警戒で、急遽授業は休講。
今日は祭日ですが、授業日でした。

今晩、近畿にも大嵐が迫り来るようです。
975hpaはかなり大型、しかも速度を増してきたとテレビでは言ってます。
皆さん、お気をつけて。

2014年10月11日土曜日

ストラップ

奥さんに新しい携帯ストラップを作ってもらいました。


朝、起きたら携帯に付けてありました。
結構、気に入ってます。


今度は無くさないようにしなくては……。


2014年9月30日火曜日

チャンス

若い頃、映画の世界に入りたかった。
でも、なぜか演劇の世界にどっぷりと漬かっていた。

劇団を辞めてから、事務所を探して小さいながらも面倒を見てくれるところに所属した。
芳雄さんに出会う前だ。
そこで色々な人と出会った。

チャンスは平等に転がっているなんて思わなかった。もちろん今も思っていない。

でも、チャンスは誰にも必ず見えるとは思っている。それが自分のチャンスかどうかはわからないが。
だからチャンスに出くわした人間を羨ましく思ったりする。

たまたまその場所に居なければ、チャンスを奪い合うことすら出来なくなる。

貝殻を集めるなら海に行く。
樹を求めるなら山を歩く。
チャンスのありかは人にある。

人はチャンスのありかを教えてくれる。 それは求めるからだ。
求めるものにだけ、人は教える。

チャンスは運ばれてくると考えてはならない。誰かのもとに運ぶのだ。
チャンスを求めている者に運んでやるのだ。

するとその誰かも必ず自分にチャンスを運んで来てくれるものだ。

それが幸運と言う奴だ。
僕は芳雄さんと出会い、さらに多くの出会いを貰った…。







2014年9月28日日曜日

金木犀

先日、下鴨神社の手作り市を見に行った際、妻が参道の金木犀を撮っていた。


金木犀の周りには甘い香りが漂っていて、僕は妻が興味深く写真を写す姿をじっと見ていた。


妻は写真が好きで撮るのも上手で、時々僕が撮るいい加減な写真を見て笑ったりする。


僕の写真はピントが合ってなかったり、頭が切れてたり、中心がズレてるので、バカにすると言うより呆れるそうだ。


それから、僕らはお腹が空いたので出店していた沖縄そばを食べていた。


すると妻は今度はもっと大きな金木犀を見つけたようでもう一度撮りに走った。


だが、戻ってきた彼女は渋い表情で上手く撮れなかったと嘆いていた。


そんなに何をこだわるものかなあ、と心の中で呟くがそれは口に出してはならない。


しばらくして彼女が言った。
義母さんが亡くなった頃も金木犀が香っていたよね、と。


全く覚えてなかった。
「そうだった?」と返す僕に、
「忘れた?」と彼女は言った。


忘れるも何も覚えてなかった。
金木犀が咲いていたのも、その匂いも記憶には残ってなかった。


あるのはまだ蒸し暑く、葬式を待つ母の身体から漏れる腐臭ととてつもない哀しみだけだった。


でも、これからは金木犀の甘い香りを嗅ぐ度に母を思い出すに違いない。
そして所々で僕らを見ていると感じるに違いない。


妻のFBにその時のiphone写真がアップされていた。

転載して、深く感謝する…。


2014年9月27日土曜日

学生監督

学生監督を侮ってはならない。

彼らは荒削りだったり迷ったりもするが、映画制作に打ち込む魂はプロ監督に引けをとらない。
私財すべてを投げ打つまでは無いと思うが、ひと月のアルバイト代くらいは平気で投げ込む。
計算づくめで生きてきた大人にはできない事だ。

どんな名監督もそんな時期があったのだと思う。
うちの監督たちから学んだ学生監督たちは、そのイズムを受け継いでいる。

世の中に出たくてもなかなか思い通りにはいかないものだが、出ようという強い信念を持たなければ決して世の中には認められない。


俳優にしてもしかりだ。
何千人といる役者達の中でひとつの役を勝ち取れるのは、たった一人だ。
演技を教えることも大切だが、俳優であり続ける生き方を教えて行く方が難しいのかも……。