2014年8月19日火曜日

人質

物騒な世の中だ。

シリアで日本人が拉致された。
YouTubeにはいくつか動画がアップされてて、ユカワハルナという男がイスラム国の兵士に俺は医者だと言ったり、カメラマンだと言ってみたり、最後には俺は兵士じゃない、兵士じゃないと繰り返す、かなり緊張感あるものが載っていた。

今朝のニュースじゃ『拉致したイスラム国は、敵対するムジャヒディン軍に捕虜交換を要求するようだ』とあったが、これに安倍首相がどう出るかが見ものである…。
ちなみに小泉首相はテロに屈せず人質を見殺しにした。

さてさて、こんな社会派な記事を載せるつもりは毛頭ない。
この話題を出したのは、僕もフィリピンで拉致された経験があるからだ。

本当に怖かった。
ユカワハルナさんはどっかの会社の社長のようできっと助かると思うのだ、僕は極めて普通の、貧乏映画俳優だった。(今も貧乏には変わりない)

拉致されたのは、撮影に来ていた僕と俳優仲間の江原修ちゃんだった。

酒場の帰り。
ミリタリーポリスを名乗る男に職務質問され、パスポートを携帯してないのを注意されてポリスステーションまでだとタクシーに乗せられた。
なぜタクシーなのかと、複数の男達も乗り込んだところでおかしく思えばいいものを、僕らはまんまと拉致された。

車の中でお前らはシャブをやってるはずだと決めつけられ、所持品を調べられた。

奴らの目的だった金は二人とも使い果たしていた。
一人の男が銃を出してタガログ語で口調を荒げた。
金は無い、本当に無い、僕らは何度も奴らに言った。

別の男がホテルに金は有るかと聞いてきた。
奴らはこのまま釈放出来ずにむしろ困っているふうだった。

「ホテルにも金がない」
と僕が答えた。すると慌てて修ちゃんが否定した。
「Yes、Yes! 水上さん、持ってるって言わなきゃダメですよぉ〜」
銃口は変わりばんこに僕らに向いた。

ホテルの前に到着すると、僕を人質に修ちゃん一人が金を取りに部屋に戻った。
その間、僕は再度所持金を調べられた。
口は渇き、呼吸は心臓が高鳴ってうまく出来ない感じだった。

逃げようと思えば逃げられたかもしれないが、確実に撃たれると思った。

早く来てくれ…走れメロスの友達の方な気分で修ちゃんが戻らないんじゃ無いかとも疑った。
妄想が幾つも広がり、10分ほどが、1時間くらいにも感じていた。

修ちゃんがホテルのエントランスから顔を出した。
涙が出そうになった。

と、同時に偽ポリス達が大声を張り上げた。
見ると、修ちゃんの後ろから民間セキュリティがショットガンを構えて修ちゃんを追い越して走ってきた。

男が叫び、タクシーが急発進した。
セキュリティの銃声が数発鳴った。

細い道をタクシーは疾走した。
僕は拉致されたまま何処かで殺されると確信した。
フィリピンではその一週間前も日本人旅行者がナイフで殺されていた。
犯人はこいつらかもしれなかった…。

助手席の男が僕を両端で挟む男達に声をかけた。男達は一斉に振り返った。
僕も何故か振り返った。
真っ暗な山路をヘッドライトが近付いて来る。
カーチェイスが始まった。
そして…走り続けた先は行き止まりだった。

偽ポリスが銃を手に車を降りた。

後ろの車から降りたのは修ちゃんだった。
涙が溢れた。
しかもプロデューサーも降りて来て、財布を掲げた。

「いくら欲しい」
プロデューサーが叫んだ。
まるで映画のようだった。
偽ポリスが答えた。
「一人、10万だ」

これで助かったと思った。
僕は両手を下ろして歩き出そうとした。
だが、プロデューサーが言った。
「エクスペンシブ。もっと負けろ」
銃口が再び僕に向いた。
言葉は何も出なかった…。

結局、偽ポリスとプロデューサーの長い交渉は、一人あたり2万円の身代金で落ち着いて、僕は長い拉致から解放された。

数日後、解放されてもフィリピンにいる間じゅう僕の心は複雑で、特にそのプロデューサーとはかなりよそよそしい関係になっていった。

拉致されるのは懲り懲りだ…。